静翁寺について
— 沿革 —
村ノ坤ノ方ニアリ~福聚山ト號ス 當寺ハ此村ノ 里正郷右衛門ガ先祖蔵人トイヘルモノ開基セリ
文化・文政期に編まれた武蔵国の地誌『新編武蔵風土記稿』に、
静翁寺に関する記述が登場します。
この資料によると、静翁寺は遅くとも天正一六年(一五八八年)には
識翁という禅僧を開山として、現在の川崎市幸区に開創されていたことになります。
古来より寺院は、多くの人々が集い、祈り、憩う…自分と関わる
様々な縁を感じてはぐくむ「こころの拠りどころ」であり、地域の中心的な場所です。
静翁寺も四百二十年という長い歴史の中を、
何代にも亘りこの街と人と共に歩んで参りました。
大正一二年の関東大震災、昭和二〇年の川崎大空襲では、
二度にわたり本堂などの堂宇の大部分と文化財を焼失する苦難がありました。
しかしその度に、寺院と檀信徒、地域住民の皆様のご尽力により復興をとげ、
平成二十三年秋に現在の本堂・客殿が落慶し、今に至ります。
平成という時代になった今でも、
ご先祖様のお墓参りや、祭りなど地域の行事だけでなく、
大切な人に祈りを捧げるため、もう一度自分を見つめるため…
静翁寺に集う人々が手を合わせる姿は、昔と変わる事はありません。
— 人と縁 —
無縁社会という言葉が飛び交い、人のつながりが疎遠になったといわれる現代社会。
SNSやインターネットを通じ、人々はつながりを求めています。
人は一人では生きられません。無数の関わり、つながりの中で生きています。
そして想像しきれないほど無数のヒト・モノ・コトと私達は既につながり、生かされています。
仏教ではこのつながりを縁と呼びます。
新たなつながりを求める前に一歩立ち止まり、
自分の目の前にある縁に目を向けてみませんか。
— 静翁寺の想い —
遇一行、修一行 一行に遇(お)うては、一行を修す。
道元禅師の言葉に、「遇一行、修一行」というお示しがあります。
日々のくらしの中で出会う様々な縁を、いかにすれば
関わる人やもの全てにとって「善き縁」として生かすことができるか。
それを真剣に考えて行動せよ、というお示しです。
静翁寺もまた、訪れるすべての方との縁に感謝し、
この街と、そして人と共に歩んでゆきたい――
今も昔も、そのような想いで、皆様をお迎えしております。